宮木康隆のエッセイ集

tomo essay

11 ダンス指導者の誇り


私は昔、競技選手であったけど、競技ダンスは年々進化を遂げ、今やついてはいけなくなり
過去のプライドを捨ててダンス教師として生活して行かねばならない現実があります。
ここ数年私は、インターネットのユーチューブでダンスを見て参考にしています。
ユーチューブでは様々なダンスがアップロードされていて、ついつい時間を忘れて見入ってしまうことがあります。
おそらく競技ダンスをしている方もこれらトップクラス選手の競技やデモの踊り、
またはレッスンDVDの映像を見て参考にしている方が多いと思われます。


しかし世界チャンピオンが踊るその素晴らしいダンスは、私に理解ができる範囲を超えているため
その素晴らしさをあまり理解できません。たとえるならば2次元の世界にいるものが、
3次元を理解できないのと同じだと思います。
世界チャンピオンの踊るダンスは確かに素晴らしいのですが、そのレベルに至っていない私は、
そのすべてを見ることができません。私の理解できる範囲で素晴らしいと思っているわけです。
本当は私が理解できているダンスとは、全く違う方法で踊っているのかもしれません。

私は時々アマチュアダンス愛好家や、アマチュア競技選手の下位クラスの人たちの宴会に
参加させてもらうことがあります。私はお酒をほとんど飲めませんが宴会は楽しいので参加します。
冗談の言い合いもありますが、彼らはダンスについて大変熱く語ります。彼らもよくダンスを見ているらしく、
実によくダンスを分析していて私の知らないことまで話題に上ります。
話がどんどん加熱してくると日本のプロのダンスを批評し始める人も出てきます。
世界のダンスと日本のダンスの違いを分析し日本人ダンサーの欠点を、講義を始めるのです。
その話を聞いていると、もっともらしいことを沢山指摘し、なるほどと感心することばかりですし、
私も彼が言っていることがもっともだと賛同してしまいます。
その通りにすれば本当にダンスがうまくなるだろうと感心させられます。

しかしながら現実はそうはなりません。彼らが言うにはまず、シャドウでお互いができるようになり、
組んでもその技術ができるまで練習するそうです。そんな彼らは60歳前後でA級を目指しているそうです。
でも残念ながら実際には自分たちの理想のダンスとかけ離れたダンスをしています。
私の現役時代にはこうゆうような人は、ビッグヘッドと呼ばれていたようです。

彼らは、なぜ自分の思い描いているダンスと、実際のダンスがかけ離れているのでしょうか?
もちろん彼らはかけ離れているとは思っていません。自分の思い描いているダンスをさせない
何かがあると思っているのだと思います。だから必ず思い抱いているダンスができると信じてあきらめない。
頑張っているのです。ルーティンはお気に入りの選手達から、コピーして、難しくて踊りにくいところは、
スムーズに流れるように変えてゆき、スピードと変化と表現を大事にして作るそうです。
ユーチューブを何べんも見てイメージを高め、何度も何時間も練習するそうです。
シャドーでは彼等なりにほぼ完成形になるまで練習するということです。
でも彼らは自分がもう60歳であることを忘れています。また、口ではパートナーとの融合やリードについて語っていますが。
それができるほど筋肉は若さを保ってないのが現実です。彼らは、現実を受け入れず、現実とはかけ離れた、
世界レベルのダンスを求めて、追求すればその理想のダンスを手に入れるところまで行くと信じているのです。
信じていれば夢は叶うと思っているのです。もしそれが現実となるなら自分の容姿や筋肉が、
ずーっと20代で毎日ダンスの練習が十分できれば、可能かもしれません。それでも才能も有るので一概には言えませんが。

彼らは、頭の中では非常によくダンスを理解していますが、現実をよく見ていません。
彼らは、フロアーには他の人が複数踊っている事も、パートナーとの調和も考えず、技術で解決しようとします。
もちろん自分の年齢も筋肉も容姿も年々落ちてゆくのに、永遠に30歳代のままだと過大評価しています。
そして競技会での思い通りではない成績で落胆し、相手の意見も聞かず自分の理想のダンスを理解してもらおうと
日夜努力を続け、意見が合わなければ、パートナーを解消し新しい相手を求め、
雑誌やネットのパートナー募集に応募することになるわけです。


ダンスを教えるときも、同じことが言えると思います。理想のダンスを教えることはとても難しいものです。
現実と今置かれた自分を見つめて、今知っている中で教えていかなければなりません。
この教え方は間違っているのかもしれない、もしかしたらもっといい教え方があるかもしれない。
と、絶えず思って教えていくことが現実に適していると思います。


私はワールドスタイルダンスを知ってから20年以上になりますが、最初のころの教え方と今では随分変化しました。
教えているフィガーも教える順番も変わりました。AJDTの指導マニュアルも今や本を見なければレッスンできません。
皆さんも決してマニュアル通りに教えていればいいと思わないでください。
面倒くさくても、自分の教え方を、絶えず考えて実行してください。自分でマニュアルを発展させてください。
我々のマニュアルはプログラムではありません。教え方の考え方を当時の私達が考えた出発点のようなものです。


ここまでは自分に自信がなく随分消極的なダンス教師像ですが、決してニヒリスティックになってはいけません。
つまりダンスは楽しく踊る事を教えれば多少おかしくてもいいとか、本部で習ってきたとおりに教えれば間違いない。
などのことです。ダンスの教師としてぜひ持ってもらいたいものがあります。
それはダンス教師としてのプライドです。このプライドがなければダンス教師としての居場所がなくなります。
プライドは説明しにくい概念ですが、長年ダンス教師をしてきて経験から培った指導法や、
生徒との関係に誇りを持つということです。ダンス指導者の持つべきプライドとはダンスとは何かということを
理解していることだと思います。これがなければ社交ダンスとは言えないだろうということを考えてみると、
まず音楽、そしてパートナーと一緒に踊るということだと思います。
音楽に合わせて踊ることを理解していないということは、何がダンスを教えるのに必要かということ、
すなわちダンスの価値がわかっていないということともいえると思います。すなわち音楽を軽視するダンス指導者は、
全くプライドというもの持っていないとも言えます。


もし音楽に合わせることが苦手な会員がいるなら、それは日本におけるダンス指導法として、
ステップやテクニックを教え習う偏重指導が戦後からずーっとなされてきて今のように成ってしまったのかもしれません。
でも、今からでも遅くありません。ダンスの本質を考えてください。

『私は今までの各々の経験を大事にしてください。』と言いました。そしてその反対のように思われる
AJDTの指導方法を勉強してくださいと言ってきました。とても矛盾しているように思われますが。
私はAJDTの指導方法を学んだうえで、今までの経験と融合させて行ってほしいと思っています。
一見矛盾のように見えても、もしかして二者択一ではなくて、融合させることができるのではないかと、
あきらめずに考えることができれば、と考えています。
私は競技ダンスで得たプライドは傷つきましたが、ダンス教師としてのプライドは失くさないように努力しようと思います。
そして年頭に当たり一陽来復を期待します。


2014年