助川友朗のエッセイ集

tomo essay

06 日本のダンス



もう何年も前から、ダンス人口の高齢化と減少に警鐘を鳴らしてきました。

現実に僕の知っている限り、ダンス教室からお客様が減少し、地域に根ざして活動しているはずのサークル(公民館ダンス)の人数も減ってきています。ダンス人口全体の減少を身に沁みて感じます。

何とかしなくては成りません、このままでは、我々の愛する「ダンス」を楽しむ人がいなくなります。ダンス界に身をおく者として危機感を感じ色々な手を打っています。 全体の人口が減り始めのときは、コアの部分の方が影響は少なく、その周辺から減り始めます。

ダンス命、競技会人生唯一の目的、デモストレーション最高の趣味の方々は、多少の体の痛みや、経済的困難も、乗り越えて継続し続けられます。 もっと気軽にダンスを楽しんでいる方からダンス離れが起きます。

しかしながら、全体のパイが減少していけば必ずコアの方々もまた減少していきます。時間差があるだけなのですが、当事者にとっては、そんなことは見えませんので、やっぱり、ダンスは競技を奨めなくては、競技ダンスを教えなければ、と成る可能性が高いのです。

そして、今までのやり方に輪を掛けるやり方に陥る危険性が高いのです。 そしてそれは死に至る病となります。ダンスの滅亡を早める結果となるでしょう。 今、我々に課せられたことは、いつの時代でもいた、又、いるはずの初心者にダンスの素晴らしさや楽しさを伝えていく事なのです。

若い人に背を向けられ、愛好家と言われる人の90%がルンバやチャチャのリズムを外し、相手に嫌われるようなダンサーを作り続けたり、30年も変わらない教え方をしていては、益々国民のダンス離れが進むだろう事は想像に難くないのです。 指導者の皆さん是非一度考えて下さい。

ダンス界を生かすも殺すも皆様次第なのですから。 ダンスの楽しみは普遍なものだと思います。ダンスを楽しむことが出来るまでの過程をレッスンという名の商品と位置づけるならば、それは変化し続けないと消費者に受け入れられなくなります。 テレビを見るのは楽しいと同じです。

ドラマや、歌や、スポーツを居ながらにして観ることが出来る。しかし、テレビは日進月歩します。画面が大きく薄くなり、音がよくなり、保存も再生も出来、チャンネルも増えます。 ダンスの楽しみ方も又変化します。知らなかったことを探求する楽しみ、出来る事の喜び、人に見せる、評価される楽しみ、様々の楽しみ方が時代によって変化します。

先日NHKのダンス講座を見て驚きました。そこには、40年前が存在していたからです。NHKや担当の同業者を非難するつもりはありません。あの内容を喜ぶ方々もいると思いますので。 しかし、今の時代に合っているとは思えません。

世界の中で、特に欧米では、あの内容を行っている国は日本にしかありません。 欧米では、初心者にはワンリズム、ワンステップのものから入ります。スローとクイックが必要なものはやりません。又、足型を覚えさせるような方向でもやりません。

知的満足(多くのことを知る)や運動満足(スポーツとして汗をかく)ことよりも言わば交際術満足(コミュニケーション)を重視するからです。 素人同士、初心者同士が踊ると言うことを前提にレッスンが成り立っています。

30年前に当時40歳~50歳の方々に一番受け入れられた、知的満足や運動満足を前提にした方法が、現在の40歳~50歳にも受け入れられるのかどうかを考えなければなりません。 そして、知的満足や運動満足だけを重視した結果、日本では相手と踊らないダンスが横行し、ダンスパーティ等で様々な問題を引き起こしているのではないでしょうか?

ヨーロッパにおけるダンス産業の発展を参考に考えるとダンス教師は以下の3種類の役割に分類されるだろうと考えます。 1、 ダンススポーツのコーチ業、競技会を目指す人々に対するコーチとしての役割、 2、 日本で発展したデモストレーションダンスの相手または指導者としての役割、 3、 そして最後は「社交ダンス」の提供者です。 最後の「社交ダンス」とは、ダンスを目的としない、ダンスを手段とするダンスのことを言います。

即ち、人生をより豊かにする「ダンス」、人生をより楽しくする為の「ダンス」、有意義な一時を過ごす為の「ダンス」。 日本では、「社交」という言葉そのものが余りいい印象を与えないようです。ですから、「社交ダンス」そのものが死語になってきています。

「社交」をコミュニケーションに置き換えてもらって、人間と人間がふれあい、交じり合い、人間関係をよくする手段として、人生の楽しみごと遊びごと、としてダンスが存在して来ました。 「ふれあいごと」「遊びごと」には幾つかのルールが存在します。相手に好かれること、場と音楽の共有等です。

人生の楽しみごとの一つに、「習い事」も存在します。「習い事」は、自己の挑戦と習得(技術や階級や資格等)が優先されますので、相手に好かれることや場と音楽の共有は二の次になります。 ダンスが、文化として産業として発展していく為には、この二つが両輪になってはじめて実現されます。

ダンスに関わるものが今しなければならないことは、社交ダンスの見直しなのです。 そして、教え方もまた見直されなければ成りません。NHK放送の様な足型中心の ことをやっていたのでは、悪い流れを助長するだけです。周りを見渡せば、益々習い事システムを深堀しています。

競技会にメダルテスト、プロアマ戦。形を変えてもやっていることは同じです。 イメージを刷新し新しい市場の開拓に今取り組まなくては、我々に明日は来ないの です。 今のダンスが抱えている「嫌な面」は実は日本人そのものの問題ではないかと思うのです。

楽しさや、楽しみ方は人それぞれで、どれが正しいなどと決め付ける必要はありません。また、自己も主張すると同時に他の価値観も認め、多様な価値観を認め、趣味を目的化しないで、群れを成す人間社会の潤滑な運営の為の手段やコミュニケーションの道具と考えます。

私は、昨年60歳になりました。戦後のベビブーム昭和23年生まれだからです。ですから、今年は、あの終戦から64年になります。 江戸時代という長い平和な時代が終わりを告げ、明治維新かなされ武士の文化から新しい文化に変わり、近代国家への道を進んで日清・日露戦争を勝ち抜いて昭和の時代に突入したのは明治維新から60年です。

ですから今の時代はどうも昭和初期の時代に似ているように思えるのです。 人間誰でも60年ぐらい生きてくると体の節々に永年の疲労がたまり、色々なところにほころびが出ます。コレストロールが高かったり、血糖値や血圧が平均値を超えていたり、メタポになったリします。

人間の作った組織や仕組みも、いや文化、も60年ぐらい経つと色々なところで金属疲労を起こし、賞味期限が切れていくのではないでしょうか。 それを前提に今我々が取り組んでいるダンスについても考えて見ましょう。戦後、 自由な時代になり、我々はこの人類が考え出した素晴らしい『ダンス』と出会い、日本の風土の中で育ててきました。日本独特の楽しみ方も多く発見してきました。そして大きく発展してきたように思えます。

メダルテストも演技発表もサークルダンスも日本独特の発展を遂げてきました。しか し幾つかの問題点をも生み出しました。 私たちはこの問題点を解決しようと取り組ん できましたが、行き着くところは、ダンスに対する考え方でした。

今、私は我々(AJDT/IDC国際ダンス本部)の教える為のガイドブック第4版に取り組んでいます。初版が発行されてから10年の歳月を経て、大幅な改定が必要になってきたからです。 世界中で踊られている18種目のダンスの説明に加え、社交ダンスについての考え方、教え方等、社交ダンスを指導する者にとって必要不可欠な内容になるべく頭を悩ましています。

思い起こせば、10年前に初版を発行する時、「社交ダンスとは何か」について、皆様お馴染みの永井良和先生を始めとして、多くの方々と議論をしてまいりました。 そしてそこで得た「社交ダンス」の考え方は今でも全く変わらないと確信しています。


① 相手と踊る、相手が変わる、パートナーチェンジの思想

② ノールーテンで踊る思想

③ 現曲(オリジナル)でも踊る思想 これは、言い換えれば、誰とでも何処でもどんな音楽でも踊るということなのです。

これらが無いと社交ダンスは成り立たなくなるのです。 ですから、ダンスが上手いということは、誰とでも踊る、踊れるという事なのです。「俺は初心者とは踊らない」「私はリボンとしか踊らない」等と嘯いているのは、私はダンスが下手ですと看板をつけているようなものです。

また、相手かまわず自分の習ったルーティンを強引にやろうとしたり、それを得意げに教えようとする人も、私は初心者ですと言っているようなものです。 3番目のオリジナルミュージックでも踊る思想になると、もうこれは筆舌に尽くしがたい。なんせ、音楽(リズム)に合わないのですから。

あるサークルの指導者にこれをぶつけると、「でも先生、これをあまり言うとサークルに人が来なく成っちゃうのです」との答えが返ってきました。しかし、音楽を聴き、これに合わせる事ができないのであれば、これは直してあげなければ成りません。

そうでないと相手と踊れないのですから。音を外しているリボンを観るにつけ「裸の王様」の話を思い出します。裸でいることに本人は気付かない、そして裸でいることは恥ずかしいと思わないのです。 1を取るようになれるのは、そんなに難しいことではありません。よく音楽を聴き、ちょっとした訓練で誰でも出来るようになります。

自分のことは自分ではわからない、もう少し真摯な気持ちで、自分は裸でいないかどうか、裸であったら恥ずかしいと考えて下さい。 ダンスに携わるものにとって、ダンス人口減少の原因を正しく把握しないと、問題の解決や新たな提案は出来ません。

私たちは、ダンスを人間社会の中でどの様な文化的位置付けにするのか新たなビジョンを構築する必要があります。 現在発行されているあらゆるダンスにかかわる書簡の中に、まったく「ダンス文化論」的なものが見当たりません。全てが、ダンスをどうすればうまく踊れるかという「技術論」なのです。

そしてこの上手く踊るということも、すべてビジュアル論なのです。

もともと接触文化として生まれた「ダンス」に対する考え方が欠如しています。


戦後の高度成長時代の価値観、偏差値時代の価値観、成果主義の価値観、即ち「正しいものは一つである」「物事は正しいか正しくないかで判断をする」ことから、「正解は一つではない」「物事は好きか嫌いで判断をする」に変わらなければ日本に21世紀来ないのです。 私は、ダンスを通じて日本人を変えたいのです。