助川友朗のエッセイ集

tomo essay

07 日本のダンスの進む道



昨年と同じ事柄を書かなければなりません。一向に日本のダンス界に光が見えてこないからです。

益々ダンス人口は減り、サークルも教室も人が集まらなくなってきました。 我々が毎月目を通すダンス雑誌も、そのうち廃刊になるのでと思うこの頃です。 パーティでは、リボン目当ての女性で溢れ、数少ない男性が壁の花になっている現状です。

教師主催のパーティは演技発表会で、ダンス・タイムの時間がほとんどないのです。いや在っても誰も踊らないのです。 もう何年も前から、ダンスパーティで嫌な思いをされたとか、不快な目にあったとかの声を聞くことが多くなってきました。

教え魔はダンスホールが一番多いと言う声も聞こえてきます。 私は、ダンス教室を中心に教えている演技発表(デモストレーション)ダンスや競技風ダンスを否定するつもりはありません。 しかし、それを習った人たちが、二人で踊る、相手と踊ることを念頭に入れず、ダンスは「こうである」と教えてしまったことには大変な問題があると思います。

日本では、社交ダンスが死滅してしまったのです。パーティが成りたたくなり、ダンスホールは閉鎖されました。 知的満足(多くのことを知る)や運動満足(スポーツとして汗をかく)を重要視し交際術満足(コミュニケーション)を軽視したレッスンから、生み出されたダンス愛好者たちは、素人同士、初心者同士が踊ると言う前提がないものですから、新しくダンスに入ろうとする人々を排除し軽視します。

日本では相手と踊らないダンスが横行し、ダンスパーティ等で様々な問題を引き起こしています。 私たちの調査では、ダンスを始めたいと思う人の殆どは、色々の人と踊りたいと思っているのです。

しかし、我々が行ってきたことは、初心者に自分達の踊っているルーティン(そのルーティンは素人同士が踊るようなルーティンにはなっていないのです)を押し付け、自分達が目標としている型を押し付けることだったのです。 何々統一ルーティンとか、メダルテストルーティンがその代表です。

私達が、考え出した「ダンスをもっとも簡単に理解する」カリキュラムでレッスンをしていると、今までのことに毒された経験者は必ず、我々の生徒に「そんなステップを習っていると他では踊れないよ」と嘯きます。

自分たちは何年もかかって他人とは踊れないダンスを習い、かろうじて同じルーティンでやっている仲間としか踊れないくせに。 「社交ダンス」とは、ダンスを目的としない、ダンスを手段とするダンスのことを言います。即ち、人生をより豊かにする「ダンス」、人生をより楽しくする為の「ダンス」、有意義な一時を過ごす為の「ダンス」。

「社交」即ち、コミュニケーションのダンスは、人間と人間がふれあい、交じり合い、人間関係をよくする手段として、人生の楽しみごと遊びごと、として存在して来ました。

「ふれあいごと」「遊びごと」には幾つかのルールが存在します。相手に好かれること、場と音楽の共有等です。 一方、人生の楽しみごとの一つに、「習い事」も存在します。

「習い事」は、自己の挑戦と習得(技術や階級や資格等)が優先されますので、相手に好かれることや場と音楽の共有は二の次になります。 ダンスが、文化として産業として発展していく為には、この二つが両輪になってはじめて実現されます。

私たちは、ここ数年で、大きく舵を切りました。「社交ダンス」の提供者としての指導者の育成です。試験や研修のあり方も大きく変わりました。昨年から実施された、昇格試験における「教え方の」試験です。幾つかの課題の中から、ある場面が想定され、実践し受講者全員から評価されると言うやり方です。  

AJが素晴らしいノウハウを持っているのに、中々進んでいるように見えてこないのは、AJ会員の一人一人の中にある価値観が変わらないからです。  自分が受けてきた、重ねてきた経験が邪魔をするのです。集まってきた生徒さんが何を望んでいるのかに気付かず、自分の価値観で自分の好きなことを教えてしまうからです。

もう一度云います。我々の調査では、ダンスを始める人の90%は色々の人と踊りたいと思っています。
そして友達を作りたいと思っています。