助川友朗のエッセイ集

tomo essay

10 20年の歩み



2013年の総会は、20回目の総会になります。ということは、AJDT/IDC国際ダンス本部の前身である、AJDT/DSC全日本ダンス教師/ダンススポーツ議会ができてから、20年以上が経過したということです。

今や、設立メンバーで理事を務めているのは私と宮木理事だけになりました。 設立以後、文字と通り競技会主催団体との並立から、純粋にダンス教師協会としての活動に専念してからもかなりの年月がたちました。 その間の活動は、2004年の会報の宮木理事の文章から引用させていただきます。


まる12年目たちました。最初は財団法人になることの抵抗として生まれた、反財団法人団体でした。できた当時は、競技会主体の団体としてICBD公認(公式国際競技会が開催できる)の団体として活動し始めました。翌年ICBDは名称をWD/DSCと変え、その傘下で国際競技会を主催しはじめました。


組織が大きくなるにつれ、AJDT/DSCは名前のとおりダンス教師協会部門とダンススポーツ部門に分かれて活動するようになり、教師協会部門の代表が欧米のダンス教師協会の視察旅行に出かけることになりました。数ある教師協会のその中でもっとも進んでいて、活発に活動しているのがドイツの教師協会だったのです。


それはマーケティングから導き出された、最も進んだレッスン方法を作り上げていたのです。そんな時スポーツ部門は、JDCができそこの加盟団体になったのです。その後JDCは賞金総額1億円の世界大会後分裂を起こし、JCFができました。 一方われわれダンス教師部門の有志は毎年ドイツに研修旅行を行い、ドイツで行われているダンス指導の哲学と、ノウハウを蓄積してゆきました。


またサルサクラブ、ディスコ、タンゴサロン、ダンスホールと出かけ、一般の人はどうダンスを楽しんでいるのかを一緒に楽しんで体感してきました。JDCが新体制になった1年後われわれも、今まで蓄積してきた、ダンス教師のあり方、教え方についての最初の独自の教科書、黄色いガイドブックを作りました。


この年から、われわれ執行部の向かう方向は明確になり、その哲学にそって今日まで進んでいます。今まで学ぶだけのドイツの教師協会の人たちとはともに開発する関係となり、よりよい友達づきあいをしており、とても親しい関係になりました。そしてその結果AJDTは、ドイツ最大のダンス教師協会とパートーナーシップをむすぶまでの教師協会となりました。


それは、AJDTはヨーロッパばかりでなくアメリカのダンスノウハウも含め独自のダンス指導法を作り上げたからです。より国際的に貢献するダンス教師協会として成長して、名称もAJDT/IDCにかわりました。 今思うと確実にAJDTは成長してきました。今までのダンスの先生は競技ダンスを教えるための方法しか習っていません。


だからブルースに正しいホールド、正しいフットワークなど初心者にとってストレスになると思われることを、厳しく指導しているのが現状です。欧米の教室の一般の人の授業参観をしましたが、日本だけが競技ダンスのステップ、テクニックを教えています。AJDTのダンスの先生は参加者に、いかにダンス楽しませるかが最重要課題になります。


楽しませるノウハウはかなりありますし、毎年開発しています。講習などで発表していますので、ぜひ一緒に体感してください。 失われた20年と云われるようになって、デフレスパイラルに陥り、出口が見えない日本と軌道を共に日本ダンス界も奈落の底に落ちていっているようです。


この間の私の文章は「このままでは、日本のダンス界に明日はない、10年後にはこうなる20年後にはこうなる」と警鐘ばかり鳴らし続けてきたようです。 しかし20年を振り返ると、われわれはメジャーになれないばかりか、日本のダンス界を少しも変えられていないことに気がつきます。 警鐘を鳴らしても何も変えられないのです。


昨年から、まったくダンス界の人間ではない、北畠博さんに代表を引き受けていただきました。まったくの外部の視点から見ていただいて、いくつか新しい観点が見えてきました。 10年間の私の会報の文章は、「暗い」のです。そうですよね、だって警鐘ばかりですもの。


今年から、AJDT/IDC国際ダンス本部は発信します。成長します。売り上げを伸ばします! 「楽しいダンスの場」作りを実践します。「みんなが楽しめるパーティ」を演出提案します。「楽しいダンスレッスン」実践します。みんなが豊かになる「ダンス」をお目におかけます。


一人でも多くの会員が集まるように、一人でも多くのお客様がこれるように、AJDT/IDC国際ダンス本部は発信します。

皆で一丸となって、発信しようではありませんか、「楽しいダンスを」