助川友朗のエッセイ集

tomo essay

14 ダンスを教える、指導する



私たちは、ダンスを教えることで生活をしています。また、生活できなくとも、ダンスを人に教える又は指導することで、何らかの生きがいや、社会との接点を持っています。


では、私たちのところへダンスを習いに来る人は、何を考えて来るのでしょう。 ほとんどの人が、「踊りたい!」「踊れるようになりたい!」 そして「もっとうまく踊れるようになりたい!」――さらに踊れるようになれば「ダンスを通じて社会と接点を持ちたい」と思っているのではないでしょうか?


しかしながら、現状の我々のダンスの世界は世間からますます遊離し、縮小の一途を辿っているような気がしてなりません。 ダンスの文字が風俗営業から外されたのに、毎年、ダンス教室は全国単位で100軒以上が姿を消してしいます。


ダンスホールは前世紀の遺物となりました。 公民館でのダンス活動も1/3に減少し、その中で踊っている人の年齢は老人ホームとほとんど一緒になりました。

もはや、ダンスの文字を見て我々の扱っている、二人(カップル)で踊るダンスを想像する人はごく少数派に転落しています。 私どもの助川教室は、戦後昭和22年の暮れに、西五反田で「日比谷学院」という名で産声を上げ、昭和27年には現在地に場所を移し、山手線からよく見える立地で「助川ダンス教室」の看板を掲げ現在に至ります。



今年のお正月の番組で、所ジョージと志村けんの「戦うお正月」という番組があり、その中で昭和32年に大ヒットした映画、石原裕次郎主演の「嵐を呼ぶ男」の撮影現場を探すコーナーがありました。裕次郎が、夕日と山手線をバックに階段の上で他の俳優と話をする場面です。 番組ではタレントが、当時の場所を探すヒントとして階段の横に「ダンス教室」の看板を見つけ、探し当てました。助川教室の隣の階段です。

さて助川教室には毎日午前中、教室の掃除をしに来てくれる80歳くらいのおばあさんがいます。清掃会社からの派遣で、ここ10年は同じ人です。昨年、こんな質問を投げかけられました。


「ここはどんなダンスを教えているの? 実はね、うちの孫が埼玉で高校生なんだけど、ダンスが好きで卒業してもダンスをやりたいって言っているんですよ」 きっとお孫さんには「おばあちゃんは毎日大きなダンス教室で清掃しているから、どんなダンスをやっているのか聞いておくよ」とでも会話をしたのでしょう。


私が「社交ダンスを中心にやっていますよ」と答えると、そのおばあさんは「そうなの、残念ね~」。 これが現実なのです。もはや駅前に赤い「ダンス」の看板を掲げても、我々の扱っているダンスは想像されないのです。


では、どうしてこんなにも社会から遊離し接点を持てなくなってしまったのでしょう。 3年前からJDSF(公益社団法人日本ダンススポーツ連盟)の方々と合同勉強会を開催しています。


全国のダンス指導者とお会いする機会が昨年一年でもかなりの数になりました。 席上私は、皆様によく質問をします。「今までパーティや講習会などで『なんだ、経験者より初心者の方がよっぽど踊りやすい』」と感じた経験がありますか?」


なんと8割ぐらいが手を挙げるのです。「いいですか、経験のないほうが、経験のある人よりも踊りやすいと感じることがあるのですよ。これおかしくないですか? ダンスは習えば習うほど下手になるのですよ」と私が言うと、どっと笑いが起こります。


しかし、笑っている場合ではありません。踊れるようになれば、ダンスを通じて社会と接点を持ちたいと思っているのですから、その希望に全く応えていないということではないでしょうか。


全国で、人に好かれない、いや嫌われる人を量産してしまったのではないでしょうか? 全国のダンスの先生や指導者が世の中と遊離してしまう、人とうまく交流できないことを30年間も力を合わせてやってきたのではないでしょうか?


30年前の世界チャンピオンのデモの映像を見ると、とても古臭く、陳腐に見えることがあります。いや20年前の映像だってそう感じます。その時代にはとても新鮮で、「あのように踊りたいな」と思っていたことが違って見えるのです。


今我々が最高の技術などと思っているものは、10年で変化をしてしまいます。 しかし変わらないものもあります。それは、ダンスを踊ると楽しい、音楽に合わせて体を動かすことは心地よい、ましてや二人で阿吽の呼吸で動ける喜びといったら、今も昔もなく、普遍なのです。


私たちAJDT/IDC国際ダンス本部は、日本においてダンスを見直し、教え方を研究し、20数年が過ぎようとしています。 今、ダンスを見直す動きが全国に起こりつつあります。


社交ダンスの本質を考え、教え方を見直し、もう一度日本で社交ダンスを普及させようとする流れです。 私たちがすべきことは、ダンスと出会ってより良い時間と空間を過ごし、豊かな人生を送れるようにしてあげることなのです。


足型、ステップ、ルーティン優先の教授法は、もはや教え方には当てはまりません。

自分達のところに集まってくれた人々が、自ら学び、感じ取り、自分で答えを見つけられるお手伝いをすることこそがダンス教授法であることを肝に銘じ、社交ダンスと向き合うことを切に望みます。